【大河への道】公開記念!日本地図ってどうやって作られた?

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日本地図を作った伊能忠敬を題材にした映画「大河への道」が公開されました。

旅行に欠かせない日本地図はどのように作られたのでしょうか。

こんにちは!manaです。

5月20日に公開された「大河への道」を観てきました。

映画の内容もさることながら、日本地図の作り方が再現されていて、果てしない苦労と努力に感動しました。

普段、Google mapやナビなど何気なく利用している地図は、伊能忠敬の地図とほとんど変わらない事実にも驚きました。

今回は、映画「大河への道」と日本地図の作り方についてご紹介します。

大河への道

「大河への道」は、伊能忠敬が30年間暮らした香取市が舞台となっています。

香取市役所に勤める池本保治(中井貴⼀)は、地域振興のために大河ドラマの制作を提案し、プロジェクトの責任者となります。

企画書作成のために調査を進めていくと、日本地図が完成したのは、伊能忠敬の死後3年経ってからだと判明します。

江戸時代、伊能組と呼ばれる伊能忠敬の弟子たちが、伊能忠敬の死を隠しながら、必死に日本地図を完成させていく様子を描かれています。

令和と江戸の2つの時代を舞台とし、日本地図完成と大河ドラマ制作の2つのテーマで織りなす映画です。

200年前の江戸時代で、一歩ずつ地道に日本地図を作り上げていく過程が丁寧に描かれていました。

伊能忠敬が最初の一歩を踏み出し、伊能組が17年かけて完成させた『大日本沿海輿地全図』を再現したシーンは圧巻です。

エンタメ性も高く、ホロっと感動できるシーンもありましたよ。ぜひ、観てみてくださいね。

日本地図の作り方

1800年4月19日、伊能忠敬は日本地図の作成に向けて最初の一歩を踏み出しました。

伊能忠敬は当時55歳で、蝦夷地(北海道)の測量から開始し、74歳で亡くなるまで10回の測量を行いました。

海岸線を一歩ずつ測量しながら進み、北海道から鹿児島まで、四国や淡路島、佐渡島などの島の地図も作成されました。

飛行機や新幹線、車などを利用する現代の私たちからは考えられない偉業ですよね。

地図の作成には、導線法と交会法、天体観測が使われました。

導線法とは、2つの地点の距離と角度を測量する方法です。

2つの地点の距離は、歩幅の長さ×歩数で測っていて、映画でも測量のシーンがたびたび登場します。

角度は、北と地点の方位の差で地形を測量し、方位磁石や分度器などを使用していました。

導線法だけではズレが生じるため、山の頂上や建物の屋根などの2つの地点からの共通の目標地までの角度を測り誤差を修正するのが交会法です。

また、天体観測は正確な緯度や経度を出すために重要で、映画でも木製の望遠鏡や天体観測しているシーンがありました。

測量には天体観測できる宿泊地を選んでいたと言われていますが、木製の顕微鏡はとても大きく運搬が大変だったでしょうね。

測量するためにも人数が必要になり、伊能組の計り知れない苦労が想像できます。

日本中を歩くだけでもできる気がしないのに、測量しながら、重たい荷物を運びながら、夜も寝ずに天体観測しながらなんて、本当に頭が下がります。

さらに、測量したデータをもとに下図を書き、本地図には地名や山などの景観を加えていました。

海岸線を測量した地図で、内陸には詳しくは描かれておらず、北海道や九州は位置のズレも生じています。

それでも、江戸時代の技術や道具で作成し、17年で完成できたことが信じられないくらいですね。

まとめ

今回は、映画「大河への道」と日本地図の作り方についてご紹介しました。

私たちの生活や旅行に欠かせない日本地図。

200年も前に、最初の一歩を踏み出した伊能忠敬と、日本地図を完成させた伊能組の偉業に驚きと尊敬の念に堪えません。

測量の方法や、完成された美しい地図も映画に出てくるので、より分かりやすいと

また、以前のブログで伊能忠敬が30年暮らした香取市佐原(さわら)をご紹介しているので、参考にしてみてくださいね。

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